これは、一見普通のエルマー50mm f3.5レンズです。
ナンバーは593XXXです。資料によると1943〜1944年製造とありますから、ドイツの敗色が濃厚となりつつあり、逼迫した状況でつくられた製品と思われます。

これを店頭で見かけたときは、値段の割には美品だったので手にとってみたのですが、各パーツの年代がちぐはぐに見えて怪しい印象でした。それでも購入したのは、安かったのと、「W.H.」という妙な刻印が打たれていたからでした。
アメリカから輸入された中古ライカなどには個人や会社の名前やイニシャルが刻まれたものをよく見かけます。なかには、鉄筆でへたくそに書かれたものもあって、それらは通常、傷とみなされますので相場よりはかなり安く売られています。
例によって前玉のあたりを見てみましょう。ノーコーティングのいわゆる新エルマーであることがわかります。

この個体のレンズ銘板(ハチマキ部分)の仕上げは、しっとりとした梨地です。
よくみかける戦前タイプは、バレルの根元の被写界深度スケールのところのみが梨地仕上げで、その他はやや艶の残るヘアライン仕上げです。戦中タイプの詳細はわかりませんが、戦時中のイメージからすると、この銘板(ハチマキ部分)の仕上げの美しさが妙に目立ちます。絞りの目盛りは大陸式のままですが、まるで戦後のパーツとミックスされているかのようです。わたしも最初そのことに躊躇しました。
しっとりした半つや消しの梨地仕上げは、クロームメッキ技術の進歩を示すものです。品質が低下した戦中戦後の一時期をのぞけば、初期のものとくらべて格段の仕上がりをみせるようになっていきます。ライカボディはもちろん、レンズにも多用されるようになり、シンプルな回転ヘリコイドのエルマー50mmの最終型である、いわゆる赤エルマー(レッドスケールエルマー)などは、たいへん美しい仕上がりをみせています。
焦点距離区分は6番、51.3mmです。

各部、細かいところをみると、ほんの少しですが仕上げがわるいような印象を受けます。
被写界深度スケールの横に刻印があります。

端正な字体でW.H.と打たれています。
では、「W.H.」について考察してみましょう。W.H.は、Wehrmacht Heer、すなわちドイツ国防軍所有物ということになります。
戦前から世界各国の軍隊で使用されていたライカですが、第二次世界大戦がはじまると、軍需物資扱いとなり、数多くのライカが陸海空ドイツ軍や同盟国の軍隊向けに製造されました。なかでも代表的なものがLeica Ⅲcにベアリングが組み込まれた耐寒仕様で、グレーで塗装され、製造番号の後ろにKの刻印があります。
グレー以外にも黒塗りや通常のクローム仕上げのものも使用されていますが、いずれも軍所有であることを示す刻印が打たれていることが特徴でした。しかし、数多くのバリエーションがあるため、後につくられるようになったフェイクとの真贋の区別をわかりにくくしています。
ほんの一例として、有名なドイツ空軍仕様は、カメラの背面にLuftwaffen-Eigentum、軍艦部にFLNo.XXXXXなどと刻印されています。海軍で使用されたライカは、その現存数は非常に少ないものの、軍艦部に鷹のロゴといった派手な刻印のものがみられます。ドイツ陸軍(国防軍)仕様は、軍艦部にW.H.(Wehrmacht Heer)やHeerなどと刻印されているものがあります。また、イタリア軍仕様では、AERONAUTICA MILITAREと刻印してあります。
レンズについても、ボディと同様の刻印が打たれたレンズが組み合わされていたようです。
webや手持ちの資料をあたってみたところ、同じ字体でW.H.が刻印されているエルマーを何件か確認することができました。ただし、それらは私の手持ちのものとは反対側に打たれています。

それらのエルマーのたたずまいを観察すると、やはり私のエルマーとそっくりです。どれもやや目立つ梨地クロームのレンズ銘板(ハチマキ)がついているように見えます。その当時から、こういう仕上げに変わっていったのかもしれません。刻印位置も、いろいろとバリエーションがあると思われます。
うん、まあ、これは本物のHeerのエルマーでしょう。そうしときましょう。すごいラッキーでした。
あえて、初期のてかてかのクローム仕上げ(シャイニークローム)のLeica DⅢに装着してみました。

ライカの神様に感謝。
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